2014年12月31日水曜日

科学の根本としての神

原理講論総序

「人間が宗教を信じようとしないのは、神の実在と来世の実相とを知らないからである。いかに霊的な事実を否定する人であろうと、それらのことが科学的に証明されるならば、信じまいとしても信じざるを得ないのが人間の本性である。」

「新しい真理によって、神を知るようになり、霊的な事実に直面して、人生の根本目的を現実世界におくべきでなく、永遠の世界におかなければならないということを悟るとき、だれしもがこの一つの道を通じて、一つの目的地に歩み、そこで一つの兄弟姉妹として、相まみえるようになるのである。」

神の存在を科学的に証明することはできるのでしょうか。簡単ではないでしょうが、現代科学は神の領域に近づきつつあるように思います。

神の存在を前提としたほうが合理的と考えられるような発見も多くあります。

1) 進化論の終着点
最先端の進化論は生物は競争ではなくむしろ共生を志向することを明らかにし、創造主である神の存在さえも認め始めている。



2)驚くべき惑星地球
地球のような高度で複雑な生命体に適した惑星になる確率は、少なく見積もっても1,000兆分の1



私が高校生の頃、地学の授業で太陽から各惑星までの距離を算出する簡単な方程式がある(ティティウス・ボーデの法則)と学び、驚いた覚えがあります。

地球の太陽からの距離と地球の大きさは生命にとって最適であるようです。太陽系は高度に計算されてデザインされたと考えてもおかしくないです。

原理講論総序

「現実世界に人生の究極の目的をおく人々は、だれしも、最後にはむなしさを味わわずにはいられない。」

宗教や神というと日本では胡散臭いというイメージが強いですが、そこを避けて通ることはできないと思います。


2014年12月1日月曜日

映画「ザ・ギバー」 から見た「愛の力」が「原理の力」より強くなくてはならない理由

映画「ザ・ギバー」 のDVDを借りてきて見ました。犯罪、飢餓、悩み等がなく秩序正しいコミュニティが舞台です。職業から個人の感情まで全て管理された極端な管理社会です。憎しみなどの負の感情もなければ「愛」という人間性の根幹の感情までもない社会です。家族も割り当てられた同居人です。

原理講論の堕落論の「愛の力と原理の力から見た堕落」が頭に浮かびました。愛の力よりも原理(規則や秩序)の力のほうが愛の力よりも強い世界がこの映画「ザ・ギバー」で描かれているように思いました。

「愛は人間の幸福と命の源泉なのである。愛が愛らしく存在するためには、愛の力は、あくまでも、原理の力以上に強いものでなければならない。」

犯罪、飢餓、悩み等がないにも関わらず、コミュニティの住民たちの不自然で心から幸せを感じられていない姿を見るにつけ、神様はなぜ堕落の可能性があるにも関わらず愛の力を大きくして人間を創造されたかを考えることができる映画でした。